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2013年06月27日

68年目の慰霊の日を迎えて

■慰霊の日を迎えて。
68年前の沖縄では、戦争の中でも最も過酷で悲惨な地上戦が行われていました。
その為、沖縄本島や多くの離島も戦場と化してしまい、戦争によって約20万人もの
尊い命が奪われました。その内、沖縄県民は約12万2千人が犠牲になりました。
当時の県民の4人に1人が亡くなった戦争でした。
県民の犠牲者のほか、日米両軍人の戦没者は約7万8千人になりました。
しかし、朝鮮半島からの強制労働者やだまされて連れて来られた人々(後の慰安婦)は
正確な人数が把握されてなく、一説には1万人とも推計される犠牲者が、
統計(歴史)から洩れていることになります。

【韓国人慰霊の塔、1975年糸満市摩文仁の丘】
68年目の慰霊の日を迎えて

■6月23日の糸満市摩文仁。
 今年も糸満市摩文仁が丘近くの「魂魄(こんぱく)の塔」に、
手を合わせることが出来ました。そこは、ひめゆりの塔から摩文仁の丘に向かう途中、
サトウキビ畑の間にひっそりと佇んでいます。当日は多くの参拝者が訪れていました。
先の戦争を体験した年配の方が杖や車椅子で祈りを捧げていたのがとても印象的でした。
 魂魄の塔は、沖縄県で戦後最初に建立された慰霊碑と言われています。
戦後すぐ、住民、軍人、敵味方の区別なく、全ての犠牲者3万5千柱を祀ったといわれています。

【魂魄の塔、1946年糸満市摩文仁近くに建立】
68年目の慰霊の日を迎えて

■今、戦争体験の話を聴く。
私の父も今年で80歳になります。戦争時は11歳。家族で、やんばるのジャングルを
逃げ惑ったそうです。「闇のような森深くに隠れていたら、日本兵がやってきて
『今から米軍に突撃するゾ』と言って、翌日にはその日本兵は遺体で発見された」と
語ります。
「戦争体験を思い出したその日の夜はなかなか眠れない。けど、戦争の悲惨さは
伝えておかないとね。」と話してくれます。しっかり聴く責任を感じました。

■世界に誇れる平和憲法。
 昔の日本は天皇を利用して他国と幾度となく戦争を行なってきました。
先の敗戦後、日本が二度と戦争をしない国にするために「日本国憲法」を制定しました。
「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」の3つの大事な要素を持ち、
平和で民主的な国であるための大事な憲法です。
特に「戦争の放棄と戦力の不保持」の第9条は、戦後68年間の日本が戦争をしなかったし、
これからもしないと誓う大事な条文です。

■戦争が出来る日本にしない
 昨今、憲法9条に「防衛軍」として軍隊を位置づけ、戦争の出来る憲法に作り変える
改正案が出ました。それには96条の改正条件を「国会議員の2/3の賛成」を緩めて
1/2に変更しようとしています。
理屈は「武力(核)による抑止力」で平和は維持されていると言います。
しかし、戦争や紛争は世界各地で起きています。
人間同士が殺しあわずに、話し合いで平和を維持する。
私たちの憲法9条の条文が日本国民の一人ひとりに問いかけているような気がします。

【憲法9条】
第9条 [戦争の放棄、軍備及び交戦権の否認] 
① 日本国民は、正義と秩序(ちつじょ)を基調とする国際平和を誠実に希求(ききゅう)し、
  国権の発動たる戦争と、武力による威嚇(いかく)又は武力の行使は、
  国際紛争(こくさいふんそう)を解決する手段としては、永久にこれを放棄(ほうき)する。
② 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。
  国の交戦権は、これを認めない。





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Posted by 産直まるしぇ at 09:17│Comments(0)暮らし
 
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