てぃーだブログ › 宝の島の贈り物・・・    おきなわ農産日記 › 2012年6月23日 67年目の慰霊の日。

2012年06月30日

2012年6月23日 67年目の慰霊の日。

■67年目の慰霊の日。
 先週、6月23日は終戦から67年目の慰霊の日でした。「魂魄の塔に行ってみないか」と誘いを受けて、その日初めて本島最南端のマブニ近くの魂魄の塔に手を合わせに行きました。これまでは、お昼に黙祷で祈りを捧げるだけでしたが、初めて魂魄の塔に行くことが出来ました。そこには多くの方が訪れ、小さな子供から車椅子のお年寄りまで様々な方がいらっしゃいました。
■当日、マブニの平和集会イベント会場で一人の男子高校生が筆者に声を掛けてきました。島根県からの修学旅行で平和学習として毎年6月23日前後に沖縄に来る高校だそうです。彼は地元の人と話したいと色々質問を受けました。彼には「今日の日をきっかけにもっと沖縄に関心を寄せてほしい。」「年配のオバー、オジーから直接に話を聞いてね」とお願いしました。本土の方が沖縄のこと・戦争のことに関心を寄せて、沖縄のことを理解していただくことは大事だと思います。
2012年6月23日 67年目の慰霊の日。


サトウキビ畑が続く風景。
 現在、本島南部マブニ方面はサトウキビ畑が多くあります。寺島尚彦さん作曲「さとうきび畑」の歌詞の通りに、戦前もサトウキビ栽培が盛んだったそうです。サトウキビを運ぶための鉄道(軽便鉄道他)も有りました。しかし、「鉄の暴風」が吹き荒れ、中南部を中心に沖縄は焦土と化してしまいました。
参照:沖縄戦ウイキペディア(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%96%E7%B8%84%E6%88%A6

■甘藷(サツマイモ)が多かった。
戦前の沖縄は、7割の方が農業に従事していました。水が豊富な所に限ってはお米を作っていましたが、沖縄の農地の半分以上は甘藷(サツマイモ)を栽培していたそうです。筆者の両親は昭和9年生れ。主食は「米じゃなくて芋だったよ。」といいます。母親は「一生分の芋を戦争中も食べたから、もう見るのもいや!」。しかし、父親は「昔の芋に比べると今の芋は美味しいよ。ご馳走だね」といいます。

2012年6月23日 67年目の慰霊の日。
■67年目の慰霊の日。食べ物に困ることは無く平和を享受しています。今後「戦争をしない、させない」と改めて思いました。



Posted by 産直まるしぇ at 20:36│Comments(0)
 
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